アフリカの民族衣装展
アフリカの民族衣装展
世界の白い衣装展
暑い夏に涼やかな白い衣装を世界各地に訪ねてみました。今回はコロナ後に入手したダッカモスリンのチョガと竹富島の苧麻の「グンボウ」をご覧いただきたいと思い企画しました。加えて地域・民族別に白い衣装を抜き出しギャラリーに飾ってみました。どれも素材や装飾、形に祈りがこめられた民族の歴史と伝統を語り継ぐものでした。ご高覧いただけると幸いです。
2025年7月15日よりネットギャラリーにて公開
白の文字の源は、頭が白骨化したものという。偉大な指導者や強敵の首は長く保存されたが、それが次第に白くなるので白色、明白、潔白の意となったといわれる。
自然界においては、雪や霜、霧は白をあらわしている。五行思想では「金」に相当し、方角では西をさす。白はどんな色にでも染まるところから、清らかな、汚れのないもののいみにもつかわれ、日本でも古代の神に捧げる浄らかなものという意味をもっていた。古代エジプトでも、晒した亜麻布の白を清浄なものと崇めて、いつもそれを着用していた。壁画の人物像はどれも白い布を纏っている。人が亡くなったあと、墓に葬るときにもその体を白い布で包むのも死者の再生を願ってのことである。
現代人なら、絹糸というと白い糸を思い浮かべるが、もともと、野生の橡や楢の木の葉を食べて育つ蛾が吐く糸は、緑色や薄茶色であった。桑の葉を食べる蚕も、もとの原種は黄色の糸を吐いたが人間の手によって飼育されるようになりそののちに白い糸を吐くものだけを集めて交配、改良が重ねられたのである。麻布も、織り上げたばかりのものはいわゆる生成色である。つまり漂白することによって白くなる。木灰に湯を注いで上澄み液(灰汁)を取り、その中でひたすら洗う。そのあとは太陽の紫外線に晒すのである。沖縄では静かな内海の海面すれすれに布を張り、光が海水の反射によって強くなることを利用する海晒し、越後上布の雪晒しは,降り積んだ雪の上に布を広げて日光に晒す。奈良では茶畑を覆うように布を張り、緑葉の照り返しを受けるようにしている。人は美しい色を得るためには、まず純白な布、糸、紙が必要だったのである。
吉岡幸雄著 「日本の色辞典」紫紅社より
各地の白い衣装と特徴

韓国の男性用の絹のチョゴリです。古代のチョゴリは男女共着丈が長く、腰で帯を結んでいたとのことです。朝鮮王朝時代の初期に基本形が整えられ女性のチョゴリはしだいに着丈が短くなりコルムと呼ばれる共布の長いひもで結びます。

チベットの民族衣装チュバの下に着用する長袖ブラウスです。修行僧も同様の赤い衣装を寒くなると着用しています。袖脇までの幅広い打ち合わせを真鍮ボタンやトンボ頭で止付けます。素材や用途が違っていてもデザインは共通しています。これは花模様の絹の綸子地で晴れ着用に仕立てられています。

ハンガリー、パローツ地方ホーロッケ村の民族衣装のリネン(亜麻)ブラウス、襟ぐり袖山と袖口に襞を幾重にもたたんで曲線や豊かなふくらみを持たせたデザインが特徴、袖カフスに白糸刺繍を施しています。

ドイツ、バイエルン地方の民族衣装ディアンドルのブラウスです。おへそがみえるほどに着丈が短いのが特徴です。ミュンヘンでオクトーバーフェストの衣装として販売されているものは半袖、豊かなバストをアピールするために襟ぐりが大きく開かれているがこちらは長袖、レース装飾のスタンドカラーです。

韓国の麻のチョゴリです。原料の大麻栽培の歴史は古く、韓国の大麻は靭皮の部分が非常に細くさけるのでしなやかで美しい糸が生産されてきたようです。綿が生産されるまでは夏用の高級服に愛用されていました。葬礼には粗く織った白の喪服を着用して礼を尽くしました。

ブータンの民族衣装「キラ」の下に着用する長袖ブラウス(オンジュ)です。男性も「ゴ」(ローブ)の下に同様のオンジュを着用して長い袖をゴの袖口で折り返し、袖口の汚れや擦れを防止します。綿素材のものが多いのですが写真は麻布で仕立てられています。

ルーマニア、トランシルバニア地方の男性用シャツです。古い伝統衣装はリネン(亜麻)の手織り布に襞、レース、刺繍などの手の込んだ装飾がほどこされいますが、これは綿布で仕立ててあります。

グアテマラ、サン・ファン・チャメルコ(ケクチ族)の2枚パネルのウィピールです。色鮮やかで華麗な色調を競い合うグアテマラのウイピールにあって清楚な白一色で織り上げられる特別なものです。居住地域が多雨で湿度が高くこのような薄物「Chamelco Picbil」と称される平織ガーゼ、紗で木や花、鳥や人など神話上のモチーフが縫い取り織で表されています。
参考資料
韓国伝統文化辞典 国立国語院編 教育出版
染織α 2006年7月~12回シリーズ
「西の風、東の風のゆきかうところ」 佐々木紀子寄稿