top of page

 民族のしるし胸パネル 

 アフガンドレスの胸パネル「ガレワン」の見事な刺繍に出会ってすでに40年もの時が過ぎました。カーブル、バーミヤン、ペシャワール・・・内戦や侵攻を逃れて持ち出され,やがて日本に運ばれてきた民族衣装でした。一刻も早く平安な暮らしがもどることを祈り今回の企画展となりました。ご高覧いただければ幸いです。

 2022年11月10日よりネットギャラリーにて公開 

GALLERY 

Anchor 3

 

 

「あれは」と運転手にたずねると、「遊牧民たちの道でさあ。やつらには国境もなければパスポートも持っちゃいねぇ」

 夏、高地のアフガニスタンで生活していた彼らは、季節が冬に移るとともに家財道具一切、すべてのものを騾馬や駱駝の背に乗せて、暖かいパキスタンへ南下する。冬が終わればその逆をたどる。自由だなあ。ぼくは瞬間そう思った。国境もパスポートも持たない彼らは季節の移ろいとともに北から南へ、南から北へと自由に移り住む。いつの昔からかは知らないが彼らがみつけ、やりつづけてきた生活の方法をいまでも変えることはない。

 考えてみればこの長い歴史をもつ地は何度もの戦や殺戮をくりかえし、そのたびに為政者はここが己の領地だと勝手に地面を分割する。権力の統治者も変われば統治の方法も違う。しかし彼ら遊牧民はいっこうにそんなことにはおかまいなしだ。ずっとやりつづけてきたことを、くりかえしていくだけだ。彼らが従順なのは時の為政者へではなく自然にだ。永劫の昔からくりかえしてきた季節の移り変わりにしたがっていくだけだ。

 十月も末になると、さすがにもう移動するキャラバンもすくない。ジェララバードを過ぎたころ、突然前方の泥の壁から彼らの一隊があらわれた。ぼくは慌てて車を停め、横の小高い畑によじ登ってカメラを向けた。この行進は意外なほど静かだった。聞こえる音は砂利道を歩く驢馬や駱駝のシュクシュクという足音だけでほかの音は何も聞こえてこない。ただファインダーの中でこの行進は、ひどくゆっくりとスローモーション映画のように動いた。駱駝の背に乗る子供の顔や、動物を引く婦人の顔がズームもしないのに画面いっぱいにつき刺さってきてはっきりとみえた。彼らがまとう原色の衣裳や、物を包んだ布や敷物の色彩がゆらゆらと行進とともに波打って動いた。                   

​篠山紀信「シルクロード 遊牧民」より抜粋 集英社文庫

胸パネルが語る民族のしるし

CIMG0397.JPG

 アフガニスタン主要民族キルザイ・パシュトゥンの胸パネル「ガレワァン」同一の祖先をもつヘルという集団ごとに胸元の矩形刺繍に特色がみられる。田型に分割された構成からスレイマン・ヘルと推測(28×31)

CIMG0503 (2).JPG

インダス川の源流に近い山岳地帯に暮らすコーヒスタン族の婚礼衣装”ジュンロ”は極細の絹糸刺繍とともにガラスビーズ貝ボタン、コインなどの光るものを用いて邪視をはね返す護符として手間隙かけて仕立てられる(30.5×32)

CIMG0573.JPG

パキスタン南西に暮らすバルーチ族のドレス,、授乳用スリットのまわりにみられる装飾ステッチや三角形のアップリケは乳児の生命の源を守ると信じられ胸元にはもっとも多くの装飾刺繡がほどこされる(37.5×50)

CIMG0577_edited.jpg

 インド・パキスタンの国境を跨ぐタールパルカール地方に暮らすメグワール族の衣裳「カンジャリ」の胸パネル、ヒンドゥ・イスラム双方のデザイン様式の混交がみられる。胸部に大きく配された風車状の“ディスク文様”、縁部に無数の突起として描かれた“寺院文様”が具象的な花のモチーフとともに表されている(60×86)

CIMG0593.JPG

 パキスタンとインドの国境に生活するダネティ・ジャト族の衣装“チュリ(churi)”の胸パネル、紅赤の木綿地をベースに、ダーニングステッチ、ボタンホールステッチ、チェーンステッチ等の多様な刺繍技法が、100を超えるミラーワークを交えて緻密で見事な幾何学文を構成している(35×33)

CIMG0417.JPG

 沢山の羊の角のキルザイ・パシュトゥンのもの。先のとがった角には魔除け、頭数は豊穣の祈りをこめ緻密で丁寧に刺繍されている。縦に3分割したデザインからミリアナ・ヘルあるいはアナ・ヘルかと推測(29×35)

CIMG0446_edited.jpg

パキスタン北西山間のマンガリ族はアフガニスタンに領地を共有する遊牧民。女性用チェニックの胸パネルは藍染更紗に刺し子が施されたもので素朴だが襟ぐりから授乳用スリットの赤糸の刺繍がとても印象的で美しい(39×65)

CIMG0602.JPG

パキスタン北西部スワトーの刺繍パネルを使い洋服仕立てのドレスとしてリホームされたものと推測している。オリジナルの衣裳はどのようなものであったものかと興味深い(39×65)

CIMG0580_edited.jpg

 パキスタン、スィンド農牧民(スィンディ)の祝祭用“クルタ(kurta)”の胸パネル“ガジ(gaj)”は独立したパーツとして作られ、後身ごろや裾・袖は既製の布で仕立てられる。着用により傷みが生じると既成の布部分だけ交換される。厳しい自然環境と相対する農牧・遊牧生活の中で、平安や豊穣の切なる祈りとともに力強さが感じられる(54×73)

CIMG0588_edited.jpg

 ロハナ族の婚礼衣装”グージュ”は、印パ分離独立以前のタノブラカーンで、ヒンドゥ系の富裕貴族からの発注により、ジャト族等ムスリム系の刺繍職人が手掛けたもの、ボリュームのある刺繍と数百のミラーワークは双方のコミュニティが共同で作り上げていた圧巻の刺繍作品(98×91)

 

bottom of page