アフリカの民族衣装展
アフリカの民族衣装展
憧憬のインドネシアⅢスンバ島
9月は憧憬のインドネシア、シリーズの三回目としてスンバ島の布をご覧いただきます。先回(2023年)のヌサトゥンガラ諸島ではフローレス島を中心に展示して、スンバ島、ティモール島のものはあえて外して次に単独で企画できることを願いました。今回はスンバ島内の東と西など、地域の差異に注目してスンバ島染織の魅力に迫ることができればと思っています。
2024年9月1日よりネットギャラリーにて公開
東スンバの染織のモティーフには、馬、角のあるシカ、雄鶏、首架台、宝石などがあり、さらにかつてインドとの通商を通して入ってきた布から派生した幾何学文様の構成のものもある。それぞれのモティーフは大きく、それは布のほぼ全体を覆っている。織手たちも世界各地の商人たちと交渉していく中で、より一層斬新で魅力のある布を織ることを追求してきた。このような展開の中で植民地時代のヨーロッパのコインの紋章や、中国渡りの磁器の龍の文様などがモティーフとして取り入れられてきた。またそれらに、インドネシアのナショナリズムによってインドネシア国旗が加えられた。描かれる対象は幾何学的ではなくなり、より表現豊かなものになっていった。時には布全体が多数の人物で覆われていて、織り手や商人は耳を傾ける人々に、人生の一代記として語ることができるほどである。
西スンバの染織は東スンバの染織ほど注目されて来なかったが、その美しさが決して後者に劣ることはない。コディの絣は控えめで安らぎを与える。通常は斑点のあるジグザグ模様が全体を覆うが、この地方の民話の重要な生き物であるニシキヘビの皮を表していると言われている。通常は藍染であるが、赤色も少し用いる場合があり、ときには輸入品のあらかじめ染織された糸が加えられることもある。今日ではインドネシア中の染織の盛んな土地と同様、市場に対応するためにモティーフが拡大され、新しい着想が導入され、境界線が除かれることで、デザインは変容させられつつある。かつては染織は個人のために織られたものだったが、今日では家族の教育費やその他の基本的な生活費を賄うためにも、市場への対応は重要なことである。
このほかに、スンバ人は民族衣装用に白地と簡素な藍色の布を作っている。
エイコ・クスマ・コレクション展 「木綿の島々 インドネシアの染織」図録解説より抜粋
スンバ島の染織模様

スンバ島東部カナタン地方の王侯・貴族階級の長い(280cm)ヒンギ・コンブです。多色の天然染料でオランダ王室の紋章が描かれ両端の帯「カバキル」の部分と中央部には織で馬や八角星が描かれた多彩な技法の布です。

スンバ島東部レンデの20世紀初頭の鹿紋のヒンギコンブ(長さ277cm)です。100年を経過した今も染め色が美しく浮き上がるように描かれています。この地域のヒンギは死者と一緒に埋葬されていたので古いヒンギの残存は稀少です。
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中央部に織文様のあるレンデのラジャ(王)のものであった大きな(長さ約277cm,幅約144cm)ヒンギコンブです。メインに描かれているのは,「孔雀」です。孔雀は,当時のスンバ島に存在しない動物ですが孔雀をこのように大胆に染めることができた、ラジャならではの特別な模様と伝え聞いています。

スンバ島東部で入手された、幅広(256×157㎝)で珍しい紋様構成の古いヒンギコンブです。インド更紗にある「生命の樹」が美しく染められた特別な注文によるものですが、当時の着装写真には、こうした大胆な図柄を確認することができるそうです。

スンバ島東部メロロの長い(280cm)ヒンギ・コンブです。上から下まで王家の歴史が織り込まれています。馬は死者の魂を来世に運ぶ乗り物で富と強さのシンボルとされています。雄鶏は死者の魂の水先案内、埋葬時に愛馬と一羽の雄鶏を旅立たせます。隙間なくびっしりと紋様が織り込まれた特別な階級の人々のためのものです。

スンバ島東部レンデのラジャの腰衣・肩掛けとして着用された「 ヒンギ・コンブ・ンダイ」です。「ラーマヤナ物語」での魔王とラーマ王子が対決し、周りでは猿たちが援護しているという場面が絣技法で描かれています。
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スンバ島西部のコディ地区の「ハンギ・ンゴコ」と呼ばれる儀礼用布です。マムリ(女性器の耳飾り)と呼ばれる絣紋様が織り込まれています。糸は手紡ぎで,とても大きく幅146㎝、長さが300cmもあり迫力があります。この布の主な用途は,花婿から花嫁に送られる婚資で,葬儀の際は棺にかけられます。
スンバ島東部のレンデ地方で織られたものです。私の集めたスンバ島の布の中で一番古いヒンギコンブです。 使われている手紡ぎの糸の細さも一番細く大きいのに(256×138.5㎝)軽くで驚かされます。