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 憧憬のインドネシアⅡヌサトゥンガラ 

 インドネシアへは一度しか行ったことがありませんが民族衣装を通してヌサトゥンガラの島々のことを知りました。初めて手に入れたのはフローレス島シカの古い絣サロンでした。藍と茜地に浮きあがる絣模様に祈りがこめられた美しい布でした。あれからもうすぐ30年、ながく温めていた企画をこの度実現できて嬉しく思っています。多くの方にご来場いただけると幸いです

 2023年7月25日よりネットギャラリーにて公開 

GALLERY 

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 「染織列島インドネシア」にはフローレス島パジャワを訪ねた時に、「椰子の葉で編んだ籠や小箱を売っていた女性たちが模様がはっきりしない黒いサルンを着ていた」とあります。また「インドネシア染織大系」には次のような記載があることを教えられ大きくて重たい本を川越中央図書館からお借りして確認したのは10年前のことでした。そこには「バジヤワ地方の住民はンガダ族の支族とされているが、彼らの間では王侯、貴族、平民、僧、奴隷からなる厳格な階級制度が今も残っている。このうち経絣を用いることができるのは,ガエという王侯階級とガエ・キサと呼ばれる準王侯階級で,王侯階級の絣には馬文,準王侯階級の絣には鶏文があらわされてきたと伝えられている。他の階級の腰巻は通常黒一色で仕事着としては縞織りが用いられており、それは白地に黒の格子があらわされている。」と説明されていました。以下はご縁があってパジャワの馬紋サロンを私が引き継ぐにあたってお聞きした来歴です。

 「この布を手に入れたのは現地で,持っていたのは裕福な家の老婆でした。すべてハンドスパンで,古布の典型のようなこなれた味わいに惹かれて,私はこの布を譲ってもらいました。この地方の人々の持っていた古布は,大部分が無地で絣のある腰巻は滅多に無く,中でもこのように時代のある馬文の腰巻で残っていたのはこの1枚だけでした。現地でも全く見かけなかったことから,特別な布ではないかと思っていました。帰国してこの本の解説を読んで納得しました。一見,地味だと思われる布にもランクがあり,その意味を知ることで愛着が増す・・・インドネシアの布の魅力です。」

ヌサトゥンガラの絣模様

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 フローレス島シカの儀式用サロンは長さ185cmと立派です。キサール島のように見える先祖紋のあるフローレスのこのタイプは非常に珍しいものです。

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 フローレス島ンゲラ地方女性用サロンは一面にパトラサリーと同様の円花文や鋸歯紋が絣でほどこされています。MやWに見える模様は「ヌサ・パニ伝説」の大蛇をあらわしているそうです。

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フローレス島東部、イリマンディリの日常使いのサロン、ケニレクミテンです。ミテンは現地では黒を意味しますが島の多くの地域でインディゴ(藍染め)もそのように呼ばれているそうです。​

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ンダオ島で作られた男性用の肩掛けです。長さ218cm幅83cmと堂々とした大きさです。ンダオ島はロティ島の西側に位置する点のような小さな島で、そこで織られたイカットはたいへん稀少です。​

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フローレス島パジャワ、黒一色に見える女性用サロンではあるが絣の馬文様が施された王侯用のものです。手つむぎの木綿糸に黒に近い藍染された20世紀初頭の古いものです。大きさは約134cm×約85cm,

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 フローレス島シカのリオ(もしかするとエンデ)のサロンにはパトラ紋や鋸歯紋が超絶技巧で一面に施されています

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レンバタ島の長大なサロンは婚資として花嫁側から花婿側に贈られたものです。マンタ・エイを捕獲する文様が鮮明で迫力があります。100年近く前のもので縞の一部に当時高価だった化学染料で染められた輸入糸が使われています。

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​ロティ島ではオランダの東インド会社が藍の栽培をラジャに依頼した際にパトラが贈られ、その模様が儀礼用の肩掛けに模倣されるようになったといわれています。

​参考資料 渡辺万知子著 染織列島インド・ネシア

 

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